チロルのブログ

平凡な主婦が時に役立つこと、時にあまり役立たないことを綴ります

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文字にすることで気づくこと

ここ最近ずっと母との関係について書いてきました。

何とかしたくて沢山悩んだし、もがいていた時期もあったけど、

最終的には精神的にも物理的にも距離を置くことで

落ち着きました。

 

大金持ちでもないし、

人がうらやむような何かを持っているわけでは

ありません。

 

ただただ平凡な毎日を送っています。

けれど、このブログを通じて小さな幸せを

沢山感じれるようになりました。

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整う心

 

母とのことを改めて文字にすることで

頭の中で、もう終わった事。

考えない。

としていたけれど、ちゃんと自分の中で色々と整理が付きました。

 

悲しいことや嫌なことが多い幼少期でしたが、

祖母や大好きな叔母について綴っていた時は、

本当に沢山の優しさや愛を思い出すことが出来ました。

ブログを書きながら温かな気持ちになりました。

 

母の思い出を祖母や叔母たちの思い出で上書きできたような

感じ。

 

もう悲しいことは思い出さなくてもいい。

後は未来を向いて進んでいくだけ。

 

夫と娘を大切にしていこう。

そう思えました。

 

沢山の幸せに気づけた

 

母になりたいと思いながらも、私は母親になれるのだろうか。

という不安も沢山ありました。

不安や心配が引き寄せていたのか、

私はなかなか子供を授かることが出来ませんでした。

夫は子供が出来なくても気にすることはないよ。

もし授からなかったら、沢山お金をためて、老後は

世界一周旅行に出かけよう!!

そう言って励ましてくれました。

 

けれど、どんなに慰めてもらっても、

一緒に子どもを育てて、今度こそ温かい家族を作りたい。

その夢を諦めることが出来ませんでした。

 

 

外へ出かけて子供連れを見かけると

息が詰まりそうなほど悲しくなる日々が沢山ありました。

 

数年かけてやっとの思いで娘を授かった時、

自分の身に起きた奇跡を信じられませんでした。

 

 

けれど、いつの間にか

なんとなく、夫も娘も近くに居ることが

当たり前になっていました。

でも、

そんなことなかったんですよね。

 

夫に出会えたことも奇跡だし、

娘に出会えたことも奇跡。

 

ただただ流れるように時間に身を任せて

過ごしていたけれど、

そんな風に過ごせることも、

今のこのご時世、有難いことだと気づかされました。

 

 

最後に

 

誰も読むことはないだろうと思い、

日記のように、ただただ思ったことをつらつらと

毎日書き綴ってきました。

 

それでも、立ち寄って目を通してくださった皆様。

スターを下さった皆様。

ありがとうございました。

 

もう母の事は書くことはないかも知れません。

 

でも、ブログはこれからも気ままに続けていきたいなと

思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

子育てを通して自分の心を癒す

自分にちゃんと子育てが出来るのだろうか。

不安が沢山ありました。

今でも。

毎日手探り状態。

温かな母との記憶があまりない私にとって、

母親とは一体どんな存在で、どんな意味を持つものなのかが

私にはよく分かりません。

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私の人生も捨てたもんじゃなかった

母との関係に悩み「カラーメンタリング」というものを

受けた私。

自分の育児に不安があることについても話をすることに

しました。

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母との距離感(後編)

私は結局母との心の距離感が埋まらないまま、

結婚し出産しました。

 

子どもが1歳ごろになるまでは、育てるのに必死で

色々な事を考える余裕がありませんでした。

 

けれど、子どもが1歳を過ぎたあたりから、

少しずつ歩けるようになり、

少しずつ赤ちゃん言葉を話すようになり、

少しずつ自我が芽生えて、コミュニケーションに手ごたえを

感じるようになりました。

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母親との距離感(前編)

私は長い事母親との関係に悩んできました。

別に身体的暴力を受けたり、

食事を食べさせてもらえなかったりした訳ではありません。

けれど、良い関係を築けているとは到底思うことはできませんでした。

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