チロルのブログ

平凡な主婦が時に役立つこと、時にあまり役立たないことを綴ります

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私の人生も捨てたもんじゃなかった

母との関係に悩み「カラーメンタリング」というものを

受けた私。

自分の育児に不安があることについても話をすることに

しました。

 

子どもの事が大好きなのに

子どもに悲しい思いをさせてしまわないだろうか。

母のようになってはいないだろうか。

心の中にある母のような子育てをしていないかという不安を吐き出しました。

 

子ども時代の話をきっかけに母以外の当時も

いろいろと思い出すことになりました。

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私にも深い愛情を注いでくれる人がいた

 

私はすごく短い時期でしたが祖母の家で暮らしていた時期がありました。

妹の妊娠をきっかけに体調を崩した母が入院してしまい、

その間私は母方の祖母の家に預けられることになりました。

 

祖母の家での生活はとても楽しく、思い出すと胸がポカポカ

するような優しい思い出が沢山あります。

温かい縁側に座って花が沢山咲いている庭をのんびり眺めたり、

祖母と田んぼ道を散歩したり、

庭できれいな花を摘んでは飽きるまで色水遊びをしたり。

いつも私のそばにはいつも優しいまなざしで、

私を見守ってくれる祖母が居ました。

 

また、当時事情があって母の大嫌いな叔母も祖母の家で暮らしていました。

私は叔母が大好きでした。

叔母は母とは違いとってもおしゃれで、綺麗なブローチやイヤリングを

沢山持っていました。

きれいな箱に収められてるその叔母の宝物を、時々私に見せてくれ、

「大人になったらプレゼントするからね」と

優しく言ってくれていました。

また、母に短く切られた髪の毛を叔母は優しく櫛でといてくれ

可愛いぱっちんどめで止めてくれたり、結ってくれました。

今でも、温かい手で優しく頭を撫でてくれたことを思い出します。

 

祖母の家の近くには空き地が沢山あって、そこでよく叔母と

シロツメクサの冠を作って遊びました。

手先の器用な叔母はいつもとっても上手に冠を作って私の頭に

乗せてくれました。

私は作っている途中でいつも叔母の冠が羨ましくなって

交換して欲しいと毎回頼みました。

叔母は必ず交換してくれました。

私はこの時は初めて、人に優しくするってこういうことなんだと

何故か思った記憶があります。

料理も上手で、何もかも母とは正反対。

何度も本気で、私のお母さんが叔母だったら良かったのに

と思ったことがあります。

 

私は祖母と叔母からは愛されているという自覚がありました。

 

けれど、いつの間にかそんな幸せの記憶も、

母との関わりの日々ですっかり忘れていました。

 

今の私の成分

 

カウンセラーの方から今の私の子育てには、

この温かな記憶があるからこそ、できている子育てだと言ってもらいました。

母から蔑ろにされ大切にされたことはあまりないけれど、

私の事が大好きで大切にしてくれた人たちがいた。

それが今の子育てには役立っている。

ちゃんと温かな記憶も私の成分となっていたんだ。

その事実に気づいたとき、

私の人生も捨てたもんじゃなかったなぁと思いました。

 

 

母を反面教師に生きる

 

私は母のようにはなりたくない。それはいつも心の中にあります。

けれど、母に育てられました。

無意識に母に似ている言動や行動をしている時も

あると思います。

できるだけ、そんな自分は嫌なので気を付けるようには

しています。

母が私に無意識にやっていたみたいに、私も無意識になにか

子どもにしている可能性があります。

 

最近は、母にしてもらいたかった事を子供にやるようにし、

されて嫌だったこと

はもちろんやらないし、反面教師として参考にさせてもらうことに

しました。

 

カウンセラーと話すこと

 

私はカウンセラーと話すことになんとなく抵抗がありました。

どうせ、解決しないだろうという気持ちもあったし

胡散臭い気もする。

ついでに、赤の他人だし。

と思っていました。

けれど、どこの誰だか全く知らない。

赤の他人だからこそ話せることがあるのだと気づきました。

自分にとっては何の利害関係のない人だからこそ、

心を開いて自分の悩みを話すことが出来きました。

 

友達でもない、親でもない、知り合いでもないけれど、

話すことですっきりする。

私はこのカウンセリングで沢山の気づきを得ることが

出来ました。